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ロータリークラブ会員は地域のボランティアとして、助けを必要としている人々を支援しています。

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2019年2月6日 ゲストスピーチ 永遠瑠マリールイズ様

会長あいさつ                            会長 大出 隆秀
 皆さん、こんにちは。
 今週は、明後日、ホストクラブが福島南ロータリークラブのIM、週末は、第13回を迎える福島中央RC杯県北地区バレーボール大会、と行事が続きます。とくに、IMは、平日にもかかわらず20名を超える会員の皆さんに参加登録をいただきました。ありがとうございました。グループリーダーを務めていただく金子克之会員には、どうぞよろしくお願いいたします。参加される会員の皆さんで、有意義で楽しいIMになればよいと思います。
 さて、RIでは、今月は、「平和と紛争予防・紛争解決の月間」ということになっています。日本に住んでおりますと、平和ボケしているところがあり、ピンとこないかもしれませんが、今でも、紛争や迫害によって住むところを失った人達は、何百万人もいて、被害者の90%が一般市民、その半数が子供たちと言われています。また、世界では、18歳未満の子供30万人が、少年兵として紛争に巻き込まれているとも言われています。
今日は、過去にルワンダでの紛争や迫害で過酷な経験をされた「ルワンダの教育を考える会」理事長の永遠瑠(とわり)マリールイズさんをお招きいたしました。後ほど、スピーチをよろしくお願いいたします。
そして、今週は、中国では旧正月(春節)にあたりますが、今から83年前の2月9日、ロータリーの創設者ポール・ハリスが、日本をこの1度だけ訪問しています。予定では、2月6日からの滞在でしたが、船での航海中に嵐に遭い3日遅れての横浜港に到着しました。
ポール・ハリスは、昭和10年2月18日からマニラで開かれる第5回太平洋ロータリー会議に国際ロータリー会長のボブ・ヒル氏とともに出席し、その折、日本に立ち寄りました。
当時のロータリアンにとっては、教祖様の来日のようなもので、その歓迎は、相当のものであったと思います。東京での歓迎は、すべて日本風。最初の訪問地は、二重橋、明治神宮。昼食は、日本料理の料亭、畳の上での箸による純日本料理、ここでは芸者さんも呼んでいたとのことです。夜の宴会では、部屋を桜の花咲く隅田川の春景色になぞらい、洋風の窓や戸は日本の提灯で隠し、琴、三味線、尺八による合奏、さくら踊りで歓待しました。
また、東京・横浜ロータリークラブのこの合同晩餐会で、ポール・ハリスは、君が代のオーケストラ演奏中、天皇陛下のために乾杯をし、また、日本側からは、東京クラブの名誉会員、前総理大臣の斎藤實(まこと)がアメリカ大統領の健康を祝し、アメリカ国歌が演奏された、と記録されています。
この時、日本のロータリークラブの創始者米山梅吉は、歓迎の言葉を述べ、そして、晩餐会の最後に、ポール・ハリスが、あいさつをしています。ポール・ハリスの話は、米山梅吉から送られた米山の等身大の胸像が自分の事務室にあることなど、心温まるエピソードがいくつも紹介され、尽きることがなかったと言われています。
ポール・ハリスの来日を機会として、日本とアメリカのロータリアン同士の心温まる友情の芽生えと親交が始まりましたが、その後、残念ながら日本は、戦争への暗い道をつき進んでいくことになりました。ロータリークラブは、軍部や政治の圧力によって、次々と解散し、米山梅吉の創立した東京クラブも昭和15年9月11日に解散を告げる最後の閉会点鐘が鳴らされました。
終戦後、昭和24年に国際ロータリー理事会が日本の復帰を認め、再び活動が開始されることになりましたが、日本のロータリーの創始者米山梅吉は、昭和21年、この再開を見ることなく亡くなっています。もし、第2次世界大戦のような紛争がなく、ポール・ハリスとの親交がさらに深まっていれば、日本のロータリーの姿は、また、別の形になっていたかもしれません。
ポール・ハリスは、紛争のない平和な世界について、次のように言っています。
「戦争はいつも途方もない大きな間違いです。勝者といえども損害を被ります。戦争に至る道は、よく舗装されたハイウエーです。平和への道は未だに茨の道です」「無知は平和の脅威です。相手を理解できれば、それだけ、おせっかいや批判、横柄な態度は減るものです。人も国も、自分のためにも世界のためにも知識や理解を深めなければなりません」
今日は、後ほど、ルワンダの内戦というつらく悲しい体験をされ、命の尊さと平和の大切さを身をもって経験されたマリールイズさんのお話があります。お話を聞きながら、今月のRIのテーマ、「平和と紛争予防・紛争解決」ということも考えていきたいと思います。
米山奨学生あいさつ                          劉 文華さん
 皆さん、こんにちは。劉文華です。
 今日は2月6日です。旧正月の2日目です。
 皆さんご存じかと思いますが、中国は旧暦でお祝いする習慣があります。
 今日は春節について簡単的に紹介したいと思います。
 毎年元旦が過ぎてからしばらくすると、また旧暦のお正月がやってきます。
 この日から1週間、連休が始まります。
 春節になると、学校や会社はもちろん、レストラン、商店、市場も休みます。
 人々は、地方の実家に帰ります。
 大晦日の夜は、家族が全員集まって、年越しのおいしい料理を食べます。 
 夜12時になると、花火を打ち上げたり、爆竹を鳴らしたりして、旧正月を祝います。
 翌日、つまり旧暦の初日には、人々は新しい服を着て、お互いに「拝年」します。
 今日は2日目です。実家では、お嫁さんを訪ねる習慣があります。  
 今日から5日まで、親戚や親友、隣人への引き続き年始回り「拝年」を行います。
 これ以外の年中行事がいろいろがありますが、今日、時間の関係でこれだけを紹介しました。
 ご清聴ありがとうございました。
ガバナーエレクト事務所報告                   次期地区幹事 安藤 正道
 2月16日(土)に『地区チーム研修セミナー』が開催されます。
 地区目標と地区リーダーシッププランを決める大事なセミナーです。出席よろしくお願いします。
 
ゲストスピーチ「ルワンダの教育を考える会」         理事長 永遠瑠マリールイズさん
   ゲストスピーカー紹介 (幹事 佐藤 一夫)
 当クラブでの卓話も3度目とお聞きしており、皆さんご存じかと思いますが、マリールイズさんは、ルワンダで、高校卒業後、技術高等学校に洋裁の教師として赴任し、結婚を機にキガリ市の技術高等専門学校に洋裁の教師として転任。  その後、青年海外協力隊カウンターパートナーとして福島文化学園にて、当クラブ2000-01年度会長を務められた故高橋啓子先生に指導を受けました。  そして、25年前ジェノサイド、ルワンダ虐殺が勃発。この時、マリールイズさんは、子ども3人を連れ、隣国のコンゴ民主共和国の難民キャンプに逃れ、難民キャンプで偶然出会ったアムダの日本人医師の通訳となり、福島での研修生時代の友人らの尽力で家族そろって再来日を果たし、2000年「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、キガリ市内に学校を設立。
以後、命の尊さ、教育の大切さを訴える活動で全国を駆け回っています。  現在も継続して教室の拡大、図書館や給食室も設置しています。  3.11の際は、避難所で、のちに仮設住宅でのボランティア活動も行いました。  2012年に日本国籍を取得。永遠瑠と名乗ることになりました。  2014年には、日本とルワンダとの相互理解の促進活動が認められ、外務大臣表彰を受賞しています。
 当クラブでの卓話は、3度目となります。
 それではマリールイズさん、よろしくお願いします。

   ルワンダの悲劇から学んだこと
  ~命の尊さ、平和と教育の大切さ~(永遠瑠マリールイズさん)
 皆さんこんにちは、ご無沙汰しております。
 このような機会を与えてくださって本当にありがとうございます。
 26年前に初めて日本に来ましたそのきっかけは出会いです。ルワンダで一緒に働いていた青年海外協力隊との出会いによってすいせんをうけて福島文化学園で受け入れていただきました。
 うけいれてくださったのは、福島中央ロータリークラブメンバーの高橋 けいこ先生です。その出会いがなかったら私はいまいきていないかもしれません。
 研修生期間を終えてルワンダに帰国したのは1994年2月1日でした。夢いっぱいの私でしたが、帰国してたった2カ月後ルワンダは虐殺が続いた内戦がぼっぱつして幼い3人の子どもたちつれてばくだんがとびかうなか命からがら奇跡的ににげることができました。
 1994年4月6日忘れもしません普通の日でした。
 仕事が終わり30人の同僚と交わした最後の言葉;また明日ね!その明日は来なかったです。大統領の飛行機をおそったミサイルのおそろしいおとによって、しょくじをたべていたわたくしたちかぞくは、何事もわからずに止まった電気のくらさをなくすためにランプをつけてそのひかりで続けて食べました。
 その後寝ましたが夜中日本から電話がかかってきました、じゅわきをとるとホームステイからの電話でした。大丈夫ですかとあわただしい声でおどろきました。ルワンダにいるのになにがおきているかわからず日本からの電話で大統領が殺されたこととルワンダで戦争が始まっていることを知りました。
 その日からおびえる毎日でした。
 1週間後4軒となりにばくだんがおちていえのなかにいることのほうがおそろしくて子ども3人をつれてなんみん生活が始まった。
 当たり前の生活が止まった絶望の生活を送っていた私たち家族に希望を取り戻してくださったのは以前日本でのけんしゅうじだいで学んだ日本語でした。ひらがなのおかげで通訳のお仕事をいただきました。
 奇跡的に生き残った私たち家族は日本の友人たちの助けによって来ることができました。絶望から希望へと平和な日本で暮らすことに恵まれました。
 生きていれば学んだことがあればその人らしく生きることができると日本にきてかんじました。
ルワンダの内戦によって希望を亡くした子どもたちに夢をとりもどしてほしいというねがいのもとで、高橋けいこ先生と一緒にルワンダの教育を考える会をたちあげました。初めての講演会はここ福島中央ロータリクラブから始まりました。
 あれから25年がたちました。18年前はウムチョムイザ学園をたちあげて、今幼稚園と小学校を作ることができました、264名の子どもたちが夢に向かって学んでいます。
 かくさの広がるルワンダ、まずしいかていのこどもたちにもしえんをしはじめました。れきしによってとりのこされているミヨべ地区の支援を保原ロータリーとルワンダのビルンガロータリーと力を合わせて支援をしていくよていです。
 どうぞ皆様のご協力もよろしくお願いいたします。
 当たり前の日々を送っている私たちですが今日も世界のどこかで25年前の私たちのように、よるがくるのにおびえているひとがたくさんいます。平和な毎日をおくることができるのは本当に幸せなことです。
 平和だからできること、生きているからできることをさがしつづけています。
 生きていれば、学んだことがあればそのひとらしくゆめにむかっていきつづけることができます。
 教育は平和と発展のかぎと信じています。そのかぎを全ての子どもたちにいきわたるように命あるかぎりがんばります。
 ありがとうございました。


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