本文へスキップ

ロータリークラブ会員は地域のボランティアとして、助けを必要としている人々を支援しています。

TEL. 024-526-7211

〒960-8051 福島市曽根田町4-22

2019年1月30日 ゲストスピーチ 「金水晶 齋藤美幸様」

会長あいさつ                            会長 大出 隆秀
 皆さん、こんにちは。立春までのこの季節は、1年間で最も寒い時期と言われています。インフルエンザの患者数も昨年の1.2倍以上とのこと、会員の皆様には手洗い・うがい等、健康管理にくれぐれもご留意ください。
 先週の県北第1分区の会長・幹事会では、他クラブの分区行事の案内が、多数ありました。来月、2月8日は、全員登録のIM(インターシティミーティング)、その他、次年度幹事セミナー、県北第1・第2分区合同新会員研修セミナー、と分区行事が目白押しとなっています。他クラブとの意見交換、親睦を通じた交流から、わがクラブにも採り入れたいアイデアや改善点が見つかるかもしれません。また、逆にわがクラブの素晴らしさを再発見できるかもしれません。幹事から、その都度ご案内いたしますので、ぜひ、会員の皆さんの多数の参加をお願いいたします。
今日は、「福島を元気にしてくれる人」、福島市で唯一の造り酒屋である有限会社金水晶酒造店の代表を務めておられる斎藤美幸様をお招きいたしました。斎藤様は、東日本大震災を契機として、2015年4月より家業の蔵元を継ぐために東京から帰郷されました。「おいしい日本酒を通じてふるさとの誇りをつなぐ」という経営理念のもと、会社経営のみならず多方面でご活躍されています。後ほど、スピーチをどうぞよろしくお願いいたします。
さて、1月27日は、ロータリークラブの創始者ポール・ハリスの命日です。この日を含む1週間をRIでは追悼記念週間としています。ポール・ハリスは、1868年にウィスコンシン州のラシーンという所で生まれ、1947年1月27日に79歳で亡くなっています。この同じ時期に生きた人物には、ポール・ハリスとはまさに正反対の生き方をしたマフィアの大ボスのアル・カポネがおりました。
今日は、ロータリーとマフィアの対決の歴史について、少し、お話をします。
ポール・ハリスとアル・カポネが生きた時代は、アメリカの歴史上でも、最も過酷な時代と言われています。激しい自由競争の中で生きているビジネスマンにとっては、毎日が過酷な闘いの日々が続き、皆、孤独感・疎外感にさいなまれていました。ポール・ハリスは、「こんな街の中でも心から何でも相談できる、語り合える友人がいたらどんなに素晴らしいだろう」という思いから、1905年、2月23日、親睦を目的としてロータリークラブをつくりました。彼は、往年、ロータリーを創った理由を尋ねられて、「さびしかったから・・・」と答えていますが、まさに当時の心境そのものであったと思います。
一方、アル・カポネは、1920年の禁酒法開始とともに、勢力を拡大し、1925年には、先代の大ボスのジョニー・トリノという人に代わり、シカゴの暗黒街を支配下におきました。1931年には、警察からの逮捕を免れるためとはいえ、シカゴ市内に約2千の無料食堂を開設し、失業者した労働者に食事の提供をしています。しかし、同年、連邦捜査局に逮捕され、その後、懲役11年の実刑判決を受け、アルカトラス島に収容されました。32歳の時でした。
2人に個人的関係は、なかったようですが、2人が活動したシカゴ市内では、ロータリークラブとマフィアの対決がいくつか記録されています。
1923年、国際ロータリー会長のガイ・ガンデイガーは、ロータリーの職業奉仕理念に従いレストラン協会の道徳律を策定しました。当時、シカゴ市内のレストランは、マフィアの支配下にありましたが、この道徳律を使って改革を進めたと言われています。若年労働者の深夜労働が当たり前の時代に、現在の労働基準法や就業規則に引けを取らない規約を定めています。
また、シカゴ・ロータリークラブ会長のヘンリー・チャンバリンは、シカゴ犯罪調査委員会を組織して、マフィアの息のかかった保釈保証人(犯罪被疑者から高い手数料を受け取り、保釈金を立て替える業者)を告発して、その職から追放し、マフィアの力を弱体化させました。
当時のシカゴ・ロータリークラブでは、シュルドンの職業奉仕理念や職業倫理基準が確立しつつあり、職業奉仕か社会奉仕かで論争が繰り広げられていた時期ではありましたが、対外的には、シカゴ市民のためにマフィア粛清のためにロータリアンが大活躍していたと時代といわれています。
アル・カポネが死亡したのが、1947年1月25日で、48歳の時、ポール・ハリスは、そのわずか2日後に死去しました。79歳でした。生涯を通じて、出会いのない2人でしたが、過酷な時代を同じ場所で生き抜いたという点では、共通しています。弱肉強食の世界、強い者が富と権力を握り、暗黒街を支配していた時代、「他人を思いやり、他人のために役立つこと」が最も重要とする奉仕の理念は、当時としては、まさに画期的・新鮮な驚きであったと思います。逆に考えれば、こんな時代だからこそ、ポール・ハリスにロータリーの思想が生まれたのかもしれません。
この「追悼記念週間」は、何もRIだけでなく、自分たちクラブの発展に尽くされた物故会員にたいしても、思いをはせる週間と言われています。私たちクラブは次年度30周年を迎えますが、この機会に、これまでクラブの礎と伝統を築かれた諸先輩にたいしても尊敬と感謝を忘れてはならないと思います。
本日は、「ふくしまをもっともっと元気にしていただける」、斎藤美幸様のご講演を楽しみにしております。次年度30周年を迎えるにあたり、私たちクラブにぜひ、エネルギーを与えていただければと思います。以上で会長あいさつといたします。
ゲストスピーチ「日本酒は故郷の誇り」       金水晶酒造店社長 斎藤 美幸様
 福島中央ロータリークラブ様で卓話の機会をいただきましてありがとうございます。
 本日は「日本酒は故郷の誇り」という題で、新聞等でよく見る「福島の酒が日本一」というのはどんな意味なのか、「日本酒があるとなぜ故郷を語れるのか」について話させていただこうと思います。
 長年、金水晶をお支えいただいた皆さまに感謝を込めながらお話したいと思います。どうぞよろしくおねがいいたします。
1.福島県の日本酒が史上初!6年連続金賞蔵数日本一!
(1)全国新酒鑑評会・・・1911年(明治44年)に始まる全国規模の鑑評会。
日本酒の味や品質の善し悪しを判定する。 初期は大蔵省主催。現在は独立行政法人酒類総合研究所と日本酒造組合中央会の共催。
(2)福島市は「消費量は日本一ではないのに日本酒への消費金額が県庁所在地の中で第一位」・・県内で消費される約半量が県産酒、おいしさを知っている福島市民
2.減り続ける日本酒消費量と蔵元
(1)ピークは1973年(昭和48年)で現在は3分の1。現在はアルコール飲料生産量のわずか6%
(2)造り酒屋は、昭和15年(1940)年に約7,000軒。平成30年実稼働数は約1,200軒と推定。福島県酒造組合加盟は昭和30年155軒⇒平成30年63軒
福島税務署管内(福島市、伊達市、伊達郡)昭和30年代に8軒
桑折町2軒 川俣町2軒 飯野町1軒 福島旧市内2軒 松川町1軒
現在は福島市に金水晶酒造店1軒
3.金水晶酒造店について
(1)明治28年(1895年)創業・・・今年で125年の造り酒屋
(2)金水晶の由来・・・・明治天皇に献上した水晶沢から湧く金明水で醸造を始めたことから
(3)受賞歴
①金水晶大吟醸  全国新酒鑑評会2年連続12回目金賞受賞
②金水晶純米吟醸 「夢の香」部門一位県知事賞。
昨年は純米酒部門とW金賞
③金水晶純米酒  純米酒大賞2年連続金賞
④おらが純米・・ワイングラスでおいしいアワードメイン部門金賞
⑤その他、インターナショナルワインチャレンジ金メダル
⑥東北鑑評会優等賞、福島県鑑評会金賞、お気に入り蔵元第一位
⑦SAKE COMPETIOTION2017ラベル部門入賞など受賞多数
(4)製造銘柄  
金水晶各種、ひとめぼれ使用の「おらが純米」、天のつぶ使用の「吟醸原酒」
委託を受け、みちのく霊山(伊達市霊山町) 小手姫(伊達市月舘町)
古寿琴コスキン(川俣町)木幡山(二本松市東和町)摺上川(福島市飯坂町)
福島大学の純米吟醸 
4.金水晶酒造店を継いだ理由 ~福島市唯一の造り酒屋を守りたい~
 日本酒の消費量は最盛期の1/3となり、名のある会社でさえ廃業や大企業への合併を決断する中、私は「福島市唯一の造り酒屋金水晶酒造店も早晩、消えゆく運命である」と思いながら育ちました。ましてや東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故。当時は専務の母も、兄弟姉妹の居ない一人娘である私も廃業を覚悟しました。
 ところが、社長である父は「こんな時こそ頑張らなければならない」と。
 そして社員も両親もがんばりました。しかし売り上げは落ち、父は80歳に。東京に住む私に母から「お父さんはもう限界なの」と電話がありました。
 継いでみると稲作は福島市の歴史そのものであり、皆様に金水晶をお使いいただけると弊社が助かるだけでなく、福島市の田んぼを守ることにつながり、金水晶という共通の思い出が、孫と祖父母、人と故郷を結び、さらには福島市の親善大使として地元の良さを多くの方に伝える役割を果たしていることがわかりました。原材料のほとんどを福島市内で調達できることから、売り上げのうち金水晶酒造店に残る利益がわずかだとしても、その原材料費や人件費のほとんどが福島市に残って市民の購買力に変わり、福島の経済に貢献できることにも気づきました。


このページの先頭へ